転職 [回顧録]
親元を離れ会社の寮で生活し、3年が過ぎた頃、ホームシックか仕事に飽きたのか覚えていませんが、コンピュータのオペレーティングシステムに興味がなくなって、業務を勉強し
事務の合理化をしたいと心変わりをしました。偶然故郷から車で30分くらいの所で人材募集していたので、コンタクトを取り、入社させて頂きました。途中入社でプレッシャーがありましたが、職場の同僚や先輩がとてもよく接してくれたので、楽しく仕事をさせて頂きました。実家から自動車通勤していたので、たまに先輩にお酒を誘われて、自動車で帰宅できないので、先輩のお宅に泊めて頂くこともしばしばありました。入社したばかりなのに、
社内恋愛をしました。お相手が、とても気さくな方だったので、先輩としてではなく恋人として扱って下さったので、精神面で安らぎを感じ、幸せな日々を送ることができました。
歳月が流れ、彼女の親が、彼女の結婚相手を決めて、彼女は、その方と結婚して幸せに暮らしています。結婚は、親が認めた人とするのが、一番いいと思いました。
この後、優柔不断で、唯々諾々の自分自身に嫌気が差しました。
そんな小生を先輩は、慰めてくれようとテニス、マージャン、飲み会に誘って下さいました。
心の隙間を埋めようとして、見合いもしましたが、どうもうまくいきませんでした。
数年後、結婚とは何かを熟考しないで、結婚し相手を傷つけ自分も傷つきました。
仕事は、ホストコンピュータのソフト開発から、サーバーを利用したERPシステム開発に変わっていきました。10年程ERPシステム開発に携わった時に、
アメリカの企業からオファーがありました。自分の能力を試してみたかったので、
ふたつ返事で引き受けました。渡米する前に、英語検定とTOEICを受験しました。
スコアーは、アメリカの企業に送付しました。すぐに仕事に就けるようだったので、
虎ノ門のアメリカ大使館に書類の手続きに行きました。書類が出来てすぐに、渡米しました。
ロサンゼルス国際空港で、会社の方に会って、車でホテルの予約をし、事務所に向かいました。ホテルから事務所まで車で10分~15分くらいの距離でした。事務所には、アジア系の人は、チャイニーズアメリカンの男性と日本人の女性がいました。とりあえず電話をお借りして、ソーシャルセキュリティーの手続きをしたいので、場所を確認し、社用車で連れて行って貰いました。これは、コミュニケーション能力テストだったようです。
翌日から、仕事を始めました。プログラマーの方で日本人がいました。彼はアメリカに6年滞在しているようでしたが、英語のコミュニケーション能力が低いので、小生の給与より少なかった。リザルトオリエンテッド(結果志向)であることを目の当たりにしました。
ウォーミングアップで、メインテナンス作業をしました。ソースコードを見るのも久しぶりでしたが、英語でコメントが沢山あったので、意外と簡単な作業でした。
2015-11-08 14:11
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