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日本に帰国 [回顧録]

母の様子を心配しましたが、小生に出来る事は、元気な顔を見せるだけでした。 病院に見舞いに行ったら、母の様子は、小生の想像よりもずっと良さそうに見えました。 手術の全身麻酔の準備だと思いますが、プラスチックのボールをストローみたいなもので吹く練習をしていました。話も普通にできたので、病人という感じは、あまりしませんでした。 手術は、胃の全摘手術で、既に各部位に転移しているので、転移箇所はそのまま という事でした。 手術が無事終了したので、アメリカに戻り、残作業整理及び引継ぎを1ヶ月で完了しました。 メールアドレスと電話番号を連絡して、帰国しました。 帰国後は、以前にお世話になっていたお客様に挨拶に伺い、アサインのお願いをしました。 運よく、すぐに仕事ができ、母の様子を見ながら、平穏無事に暮らしました。 業務内容は、概要設計書の作成がメインで、開発チームのリーダーとして、進捗管理もしていました。オフショアーの開発案件があると開発基準書を作成しました。 その後、中国に出張し、開発基準の説明をしました。 上海の事務所は、数回伺っているので、地下鉄でホテルから事務所に行ってみました。 電車の中が騒がしいので、下車する駅を乗り過ごしたら、いけないので緊張しました。 何とか事務所に到着でき、ほっとしました。 開発基準書は、命名規約、コーディング規約、レビュー規約、チェックシートなど 各パートに分けて、説明しました。理解しているかどうか心配だったので、 「チーダラオマー」(わかりますか?)と何回も確認しました。 昼食は、お客様の部長がご馳走してくれました。日本で、200円くらいだそうです。 お客様用のセットメニューでした。パクチーのスープが独特の味でした。 夜は、日本企業の駐在所長と会食しました。 Cタオビールとショーロンポー、で乾杯。 麻婆豆腐は、山椒のぴりっとした味でとてもおいしかった。 マーでラーではない本場の味でした。 上海ガニを使ったカニ豆腐のカニ味噌の味が絶品でした。 上海焼きそばは、小生には、少し甘い感じがしました。 上海の飲料水は、純水なので、ミネラル不足になるといけないので、 長く滞在する時は、サプリメントを持参した方がよいそうです。 翌朝午前中だけ開発基準の説明と質疑応答をして、午後4時出発で日本に戻りました。 3ヶ月後、中原の鄭州に出張しました。 上海の事務所で午前中会議をして、正午に国内線で鄭州に向かいました。 昼食は、機内食を食べたのですが、小生の口に合わなかった。 鄭州に到着し、鄭州の事務所に迎えの車で行きました。上海と景色が全然違って、 日本の大正時代か昭和初期のような気分になりました。 会議が終わりディナーに有志で、出かけました。 火鍋(コーッコ)が日本のしゃぶしゃぶに似ていて、タレがピリカラで小生は、 おいしいと思いました。白酒(バイチュウ)と言うアルコール度数50度くらいの 強い酒に合いました。





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