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中学時代 [回顧録]

小生の通った中学校は、C小学校卒業生、N小学校卒業生、T小学校卒業生、F小学校卒業生の4つの地区の小学校出身者が集まっていました。最初に、部活動を決めました。 クラスの担任が、剣道部の顧問をやっていたので、「剣道は、頭のよくなるスポーツ」と言っていたようです。剣道部の入部希望者が多かったと記憶しています。小生は、あまり目立たない部がよかったので、バスケット部に入部しました。持久力がなかったので、ダッシュ10本でへとへとになっていました。一緒に入部した生徒は、走るのも早く根性もあったので、文句も言わず平気な顔で、ひたすらダッシュをしていました。練習が、終わった後に水を飲んだ時、水がこんなに、おいしいものだと初めて知りました。 フリースローの練習や速攻という試合のテクニックなど教わりました。 ドリブル練習も簡単そうに見えましたが、小生には難しく上手くできませんでした。 この時は、努力をする事に気づいていませんでした。 運動ダメ、絵を描く事もダメ、音楽ダメ唯一勉強だけが、普通だったので、勉強に力を注ぐようにしようと思ったようです。気持ちだけで、事実、勉強もあまりしませんでした。 英語の授業は、気に入っていたので楽しかった。他の科目は、あまり吸収できなかったのですが、「好きこそ物の上手なれ」って言うのか、以外と吸収したと思います。 これをきっかけに、英語に興味を持ち、後にアメリカの企業で働くようになりました。 中学3年生になり、同級生の女子に憧れ、彼女が読書好きな事を知り、小生も本を読もうと、 パールバックの「大地」を読んだことを忘れません。「大地」は中国を舞台にした長編でしたが、おもしろかったので、読破しました。その後、小生なりに憧れの女子に、告白するかやめるか、悩み続けました。そして、ラブレターを書きました。手紙を初めて書いたのが、 ラブレターだったとは、我ながらこそばゆいです。今思い出せば、笑えますが、当時は、 真剣だったのです。「野菊の墓」の政夫と民子のように、純情だったのです。彼女の住所をどのようにして、知ったのか?不思議です。夜こっそり、投函した事を思い出し、ときめいています。彼女からの返信をもらい、ドキドキして開封したことも記憶しています。 場所も指定してあり、2週間後に会う予定でしたが、会うことは、できませんでした。 この気持ちを忘れようと、今まで自分の限界に思っていた事に挑戦しました。 年齢的に持久力もついてきたのかも知れませんが、1500m走など人並みの記録で走れるようになりました。





小学校時代 [回顧録]

掛け算九九の暗記が、できなくて家で練習させられた記憶があります。
アイスの棒の縁に、松脂(マツヤニ)をつけて、小学校の池に入れると松脂のアブラで棒が進むように見えて、ふしぎで何度も同じことをやっていました。それに飽きると、薄い板でできた船のおもちゃ(ゴム動力でおもちゃのスクリューが回る)を池の水面で走らせて、楽しんでいました。小学校2年生の時に、クレヨンと絵の具でニワトリの足が4本の絵を描いて、銀賞を貰いました。その後は、一度も賞をとることはありませんでした。
音楽では、ハーモニカ、リコーダを教わりましたが、苦手でした。
竹ヒゴに薄い紙を貼ったゴム動力の飛行機を小学校のグランドで飛ばし遊んだことを覚えています。小学校時代は、ゴム動力がマイブームだったようです。
風の強い日にゴム動力の飛行機を飛ばして、小学校の校舎の屋根に引っ掛けてしまい、屋根に上って飛行機をとった時の様子を教師が見ていて、屋根から下りたら駆けつけて、「怪我したら、どうするんだ!」と怒鳴られビンタされました。今だったら、暴力と言って問題にするかもしれませんが、私的には、愛情を持って、しかって頂いたと思っています。
今思えば、危険だったことが、ひとつあります。それは、コウモリを捕まえに3人くらいで、洞窟みたいな所(白土採取跡)に入って探検気分を味わいました。元の場所に戻れるように、紡績糸を入り口の木に縛って入って行きました。中は真っ暗で、子供心に未知への期待と不安を感じたのだと思います。コウモリは、たくさんいましたが、ひとつだけ捕獲しました。
その時はじめて、達成感みたいなものを知りました。捕獲したコウモリは、小鳥のケージに入れて暗くするのに、周りを風呂敷で覆ってあげました。翌日覗いてみると、コウモリの体から小さな虫のようなものが、たくさん出ていました。かわいそうな事をしてしまいました。
低学年の時に遊んでいた小学校の池が、使用禁止になりました。
新一年生が遊んでいて、池の周りの石で擦り傷を作って、池の水で洗ったら、破傷風になってしまい、残念な事に亡くなってしまいました。その時初めて、破傷風という言葉を耳にしました。その後、小生も破傷風の予防接種をしました。
夏休みには、児童会の奉仕活動で、廃品回収をやりました。
リヤカーで、近所の家を回り、ビールの空きビン、日本酒の空きビン、雑誌、新聞を集めました。夏休みといえば、毎朝、ラジオ体操を小学校のグランドでやりました。





愚水のおいたち [回顧録]

千葉県の長者町で、二男として生まれました。 小生が2歳の時、妹が生まれ、小生は、伯母の家で暮らしました。 記憶が定かではありませんが、昼寝をしなかった時、いたずらをした時に、 「センガジが、来る」と母が、言うので何気なく「センガジ」は自分の中で、 「おばけ」みたいなモノと思っていたようです。 今まで家にいなかったのに、泣いてばかりの見たことないモノ(妹) つまり、「センガジ」と思ったようです。 母も妹の世話で大変忙しかったので、伯母夫婦に子供がいなかったのもあって、 数ヶ月間、伯母夫婦に小生を預けていたようです。 遊び相手は、犬のチェリだけでしたが、小生は、さみしくなかったようです。 数ヶ月後に、母が迎えに来てくれたのですが、自宅に帰りたくなくて、愚図って 結局、伯母夫婦の家で過ごした記憶があります。 保育園に行く年まで、伯母夫婦の家で過ごしていたようです。 保育園に行くようになったら、伯父が「子供に手をかけられない家庭が 子供を預ける場所だ。」と言って保育園から伯母夫婦の家に小生を連れて行ったようです。 保育園は在籍していたので、お金だけ払って、小生は、保育園に行かなかったようです。 (中学生になった頃、母に聞かされました) それでも、たまに保育園に行くと、「xxに足を踏まれるからいやだ」と言って 保育園の登園拒否をしていました。 幼児の時から、人間づきあいが、にがてでした。 月日がたち、年長になった頃には保育園に行かず、ため池でザリガニを釣ったり 相変わらず、一人でいました。 ザリガニ釣りは、糸にサキイカを縛って水に放ると、勝手にザリガニが食いついてくるので、 誰でも釣れておもしろいと思います。

他には、トリモチといって鳥がトリモチに止まるとねばねばして、その場所から身動きできなくなるのです。 これは、トリモチの木の皮を石で細かくして、さらに叩くとねばねばになります。 要は、ゴキブリホイホイみたいなモノです。 しかしながら、鳥が止まらなかったか、鳥の抵抗力が上回っていたか、一度も捕獲できませんでした。 伯父は、テッポウブチと呼ばれ、散弾銃で鳥を捕獲していました。 水鳥(鴨など)を散弾銃で撃って、落ちた鳥を、猟犬が持って来るのですが、犬の社会でも、ズルがありました。落ちた鳥を、主人のところまで持っていく途中を待ち伏せして、 「ウーツ」と脅して横取りする犬がいました。生物は、共通なのですか? 小生は、脅された犬に同情しました。小生の生き方と脅された犬が重なってしまったのだと思います。 小学校入学前の記憶は、このくらいです。





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